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組織、そして社会全体が「生産可能性フロンティア(production possibilities frontier)」に近づくためには、すなわち、生産できる限界までその生産性を高めるためには、理想に至るまでの知識のギャップを埋めなければなりません(Stiglitz & Greenwald, 2014)。
知識のギャップを埋めるには、個人、チーム、そして組織の観点からラーニングを高め、キャパシティを広げる必要があります。その必要性を満たすアプローチの一つとして、昨今ダイバーシティに対する理解と、その取り組み(インクルージョン)が脚光を浴びてきています。
本稿では、インクルーシブ・リーダーシップ開発の観点から、相違(ダイバーシティ)に対する反応(バイアス)により、従業員をはじめとするステークホルダーがお互いにどのような関係を構築し、それに対処しつつ、如何にして最善のパフォーマンスを発揮できるのかについて、解説します。
意識改革 ~バイアスとは何か?~
バイアスの定義
当方が在籍している米国ペンシルバニア大学教育大学院博士課程において、同校修了生で、講義を行っていただいたバトル博士(2021)によりますと、バイアスとは自身が有する知識・経験に基づく判断や性向によって生じるものと定義しています。
同様に、同校博士課程において講義をしてくださった、米国ハーバード大学ケネディ行政大学院のチャップマン(2021)副学部長(「ダイバーシティ、インクルージョン、ビロンギング」)の定義によりますと、バイアスは文化的なフィルターを介した思考や信念の一部である、としています。
いずれの定義にしましても、バイアスで特に問題視されていることは、潜在的に形成されている態度、すなわち無意識のバイアスです。この種のバイアスが強いと、リーダーは的確な戦略的思考や意思決定を行うことができず、ラーニングの局面でも重大な支障をきたすことになります。
意識と無意識のバイアスの違い
ここで、無意識のバイアスをわかりやすく説明するために、チャップマン博士(2021)は次のような常套句を取り上げています:「私は公平で、バイアスとは無縁の人間です。すべての人々に対して同じように接します。」。
チャップマン博士自身が、無意識のバイアスを「人、場所、状況についての暗黙的な連想で、しばしば誤った、不正確で、不完全な情報に基づくもの」(2021)と定義していることを踏まえますと、上記の話は根拠のない(バイアスを十分に認知し考慮できていない)言い分として捉えられます。
自覚していない無意識のバイアスを通じて、人は認識された相違と認識された同質性を、無意識に選別していると考えられています(Chapman, 2021)。前者がその人自身にとっての否定的なバイアスに、後者が肯定的なバイアスとなります。
脳科学からバイアスを解く
では、無意識のバイアスが判断と行動に与えるメカニズムは、脳科学の観点からどのように捉えられるのでしょうか?
チャップマン博士(2021)は、「脳があれば、バイアスに罹る」、と一刀両断しています。そして、脳の指令により、人は自身と同じ性質を有すると感じられる(認識される)人を好む傾向にあるとしています。一体どういうことでしょうか?
この現象について、行動科学や心理学の分野の学者たちは「認知バイアス」と呼んでいます。つまり、人が危険を察知し診断するとき、往々にして合理性に欠いた決断をしてしまうというものです。これは、脳内に認知的負荷を軽減しようとする「メンタル・ショートカット」の働きがあるためです。
この認知バイアスをビジネスの現場から捉え直しますと、どのような意思決定や行動として表れるのでしょうか?
米国カリフォルニア州立大学機構は、ビジネス上のリスクを18種類の認知バイアスに分類し、4つの項目(社会性、推定の失敗、金銭面、短期志向)から各バイアスを評価しています(図1)。

上記の図からもわかるように、人間の認知バイアスは、ビジネス上の意思決定プロセスや行動パターンに対し複合的に影響を与えていると言えます。そして、この脳内メカニズムから生じる認知の歪みや錯覚は、インクルーシブ・リーダーの意識改革に向けて、対処すべき最重要課題です。
無意識のバイアスを知る
インクルーシブ・リーダーとして、この事実(すなわち、無意識のバイアス)に向き合うには様々な方法があります。代表的な科学的手法として、「潜在連合テスト(Implicit Association Test (IAT))」があります。
IATの詳細につきましては、上記のURL先のHPに記載されている内容に譲りますが、一言で申し上げますと、自身の無意識のバイアスに正直に向き合うことができるツールです。
具体的には、連想させる概念同士のつながりの強さを明らかにし、そこから自身が潜在的に有する態度を浮き彫りにしていきます。その中には、決して好ましくない偏見や差別的な態度もあり、IATの結果を通じて客観的に理解することができます。 脳科学的なアプローチ以外にも、無意識のバイアスを簡単にかつ実務的に解き明かすツールがあります。バトル博士(2021)は、バイアスに気づき、精査し、負の結果を管理しつつ、有効な行動を選択する必要性を説いた上で、「Who’s “In”?」というツール(表1)を紹介しています。

上記のツールを使用することで、自身が普段何気なく行動しているパターンが一体どのようなもので、仕事や私生活の上で接している人々に対して、どのような「選り好み」があるのか、というそれぞれの点について、感覚的な気づきを得ることができます。
能力開発~インクルージョンに向けて~
バイアスの醸成
それでは、バイアスに向き合い、その存在と影響について知り得たところで、実務上どのようにその影響を軽減し、本稿のテーマでもあるダイバーシティの推進とインクルージョンへの取り組みを実践する、インクルーシブ・リーダーシップを開発できるのでしょうか?
その前提としまして、バイアスが認知的な負荷の軽減のみならず、様々な要因を孕んで醸成されていることを理解する必要があります。
チャップマン博士(2021)によりますと、バイアスの醸成には、アイデンティティ(前回記事「インクルーシブ・リーダーとは」を参照)、時間の経過、認知的な負荷、ストレス・マルチタスク・疲労、曖昧性・経営責任、そして世界観の6つの要因が絡んでいると指摘しています(図2)。

それぞれの要因を通じて醸成されたバイアスは、自らの意思でコントロールされた思考と合わせて、経営評価・判断の際に影響を及ぼすことになります。
そして、バイアスのフィルターがかかった評価・判断は、企業経営の意思決定と行動という形で表れますが、その中には当初意図していなかったインパクトを残すことにもなるのです。
内省によるバイアスの理解
これまで、バイアスに対する『気づき』を中心に、網羅的な理論と枠組みについて述べてきましたが、個々人が自身に「バイアスがある!」、と気づいた場合に、その後、各々の立場と現状から内省を深めるためにはどうしたらよいのでしょうか?
チャップマン博士(2021)は、バイアスに対する内省を深めるための問いを8つ挙げています。
1.なぜ、わたしは誰かを受け入れ、誰かを排除しているのか?
2.なぜ、わたしは誰かを励まし、誉めているのか?
3.なぜ、わたしは一貫して何かを見落としているのか?
4.なぜ、わたしは何かを当然のこととして考えているのか?
5.なぜ、わたしは部屋にある人工物を通して態度を表しているのか?
6.なぜ、わたしは自己の見解の中身によって態度を表しているのか?
7.なせ、わたしは自らが選んだ事例によって態度を表しているのか?
8.なぜ、わたしは誰かの話を聞いていて、誰かの話を聞こうとしないのか?
この問いに答えていく過程で、必要に応じて先述の(無意識の)バイアスに関する理論や枠組みを適宜用いることで、自身が有しているバイアスに対する理解を深めていくことができます。
インクルージョンの尺度
内省を通じて、自身の有するバイアスについての理解を深めたところで、本題であるインクルーシブ・リーダーシップの観点から、自身を取り巻く仕事環境と一緒に働く人々に対して、どのような認識を持っていると言えるのでしょうか?
バトル博士(2021)は、インクルージョンの尺度を5段階に振り分け、それぞれの段階において、人はどのような態度と行動をとる傾向にあるのか、具体的に述べています(図3)。

上記の尺度を用いることで、自身のインクルーシブ・リーダーとしての現状の立ち位置を知ることができます。また、改善策として、どのような行動計画を立てて実践すればよいのか、という点についてまとめた「インクルード・アクション・プラナー」の作成に向けた指針としても活用できます。
インクルード・アクション・プラナーの作成
それでは、最後に、インクルーシブ・リーダーの育成に欠かせない開発ツール、「インクルード・アクション・プラナー」(Battle, 2021)についてご紹介します。
「影響を及ぼす」、「気づく」、「意思疎通を図る」、「活用する」、「可視化する」、「中断する」、「共感する」の7項目について、それぞれに与えられているインクルージョンの問いに答える形で、行動計画を記述していきます。 記述の際には、自身が直面している課題に対して取るべき具体的なアクションを示します。インクルード・アクション・プラナーの表は下記のとおりです(表2)。

まとめ
本稿では、インクルーシブ・リーダーシップ開発の内容を理解するため、ダイバーシティを推進し、インクルージョンを実践していくリーダー(インクルーシブ・リーダー)の意識改革と能力開発のプロセスについて、それらに関連する理論とフレームワークについて説明しました。
バイアスの脱却に求められるインクルーシブな行動を理解し実践するためには、個人として無意識の偏見や差別に対する気づきを得て、組織としてはバイアスへの影響を軽減するための制度的な仕組みづくりと関連の研修やメンタリング・コーチングの実施が必要です。
次回の執筆では、本稿で触れたインクルーシブ・リーダーシップ開発の内容を研修として実施した場合の効果と課題について説明します。
また、ダイバーシティに関するタスクフォース・チームの形成や関連プロジェクトの立ち上げなどを通じて、組織全体に戦略的にインクルージョンを推進し、浸透させていく方法について、IBM社などの事例を踏まえて詳説する予定です。
この記事を書いた人
横井 博文
TOASUパートナー講師/ 東京大学助教授、岡山大学教授歴任
大学卒業後、自動車業界、外資証券を経て渡米。帰国後、社会イノベーション推進を掲げ、国内外で起業。東京大学助教授、岡山大学教授(特任)に就任、グローバル人材育成を推進。グロービス経営大学院 外部講師。
現在は、米国ペンシルバニア大学教育大学院博士課程に在籍。
ヒトと組織のラーニングを高める理論と実践に関する研究を続けながら、L&DやDEI関連のコンサルティング・研修業務に従事。